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あらためて、国語教室ミルンの方針をお伝えしておこうと思います。

読解問題を解く前に、まず論理力を鍛える!です。

この方針にのっとって、どの学年も一学期には論理の学習をしてもらいます。

 

なぜ、論理力?

基礎よりも、難しい問題をたくさん解いて慣れた方が良いんじゃないの?

 

たしかに。習うより慣れろ、という考え方もありますね。

実際、大手塾ではひたすら読解問題を解かせます。

 

主語述語が正確に抜き出せなくても、指示語の内容が瞬時に読み取れなくても、気にしません。

そんなの、日本人として生活しているのだから当たり前。

とりあえず良質の文章に触れていれば大丈夫!

 

でも、ほんとにそうでしょうか?

塾に通って難解な文章を解いていれば、いつか国語ができるようになるのでしょうか?

 

できるようになる子もいます。

母集団にもよりますが、たいてい上位2~3割くらいの順位を実力でとれている子なら、その塾のテキストの文章をていねいに読み込んでいけば、国語ができるようになることもあります。

 

でも、たいてい平均点はとれないし、本もあまり読まないという子は、残念ながら自力で国語力を身につけることは難しいと思います。

 

なぜなら、基礎ができていないから。

算数の例題も理解していないのに、発展問題を解こうとするようなものだから・・・

 

わたしが子どもに国語を意図的に教え始めたのは、今から15年ほど前のこと。

次女が小学校に入学したころです。

最初は市販のドリル形式の問題集を、毎朝数ページずつ解かせていました。

時々は、こんな簡単な問題でも間違えるのか、と思うことはあっても、それほど気には留めませんでした。

ところが、2年生になり呆然とする事態に。

一つ年上の長女の使っていた問題集をやりはじめたところ、読解問題がさっぱりわからないというのです。

普通なら親に質問することもなく、自分のペースで進められる程度のものです。

けれど、次女にとってはレベルが高いのかなと思い、 もう少し簡単な短い文章の問題集をやらせてみたところ、『レベルの問題じゃない!!』ことに気づいたのです。

 

『問題を解く』以前に『文章を読む』ことができていないのです。

 

比較は良くないことは承知の上で、次女は長女に比べると語彙が少ないということに、1歳を過ぎて話し始めたころから気づいてはいました。

思いを伝えられない、幼稚園であった出来事を説明できない、簡単な絵本やマンガを好んで読む...

言葉の並べ替えや、指示語、助詞の使い方、形容詞の扱い方などをよく観察してみたところ、国語全般において、年齢のわりに稚拙です。

 

読解問題を解かせている場合ではない!

本を読まない、説明がうまくできない、ということは日本語を自由に操れていないということ。

つまり、国語を勉強するための土台ができていないんだ!と気づくのに時間はかかりませんでした。

 

それからは、信じられないほど簡単な問題に徹底的に取り組みました。

ことばの並べ替え・助詞の使い方・文の書きかえ・・・

毎朝毎朝学校へ行く前に、15分ほどかけて問題を解き続けました。

低学年のうちに、慣用句やことわざを覚え、語彙力も鍛えました。

 

そうしたら、いつのまにか難しい本を好んで読むようになり、読書の量と質が上がるにしたがって、国語の成績も安定し始めたのです。

4年生からは、ラインマークの手法で本格的に読解特訓を始めました。

5年生になったころには国語は得意科目となり、苦手な算数の成績をカバーできるまでの力もついていました。

 

国語ができるようになるために必要なのは、論理力と語彙力。

逆に言った方がわかりやすいかもしれません。

国語の得意な子は、みな論理力を身につけている。

 

実際、国語力がすぐに伸びるだろうと思える子は、入塾時点で論理力に問題のない子ばかりです。

次女だけではなく、たくさんの生徒さんたちを見てきて確信しています。

 

実は、そんなことは学習塾の関係者であればだれでもわかっています。

でも、基礎を教えるって、地味だし時間もかかる。

大手塾ではそんなことをやっている暇はありません。

だからこそ、国語教室ミルンでは基礎を教えるのです。

 

国語に苦手意識を持っている子には、敢えてクラスレベルを下げて、実学年より下の簡単な問題から取り組んでもらいます。

そして、解ける!という体験をたくさんしてもらいます。

答えは本文中にある!ということを何度も言い聞かせます。

ひとりよがりの思い込みではなく、筋道に従って答えを探すことから始めてもらいます。

 

進学塾で解く問題とは難易度に差があるため、テスト結果に反映されるまでにはかなり時間のかかる子もいます。

でも、ここから始めるしかない、というのが私の信念です。

そんなわけで、今日も明日もあさっても、ひたすら正しく日本語を操れるようになるための特訓です。