この姉妹は、きっと国語で困らない子になる!と思うできごとがありました。
今朝、犬の散歩途中、幼い女の子2人と60代と思しき女性に出会いました。
姉妹は3歳と2歳か、それよりもう少し幼いかな?という歳の頃。
お姉ちゃんは三輪車を漕ぎ、おばあちゃまは妹ちゃんの三輪車を押しています。
そして、三人はずっと途切れることなくおしゃべりを続けています。
私は、公園へ向かう道すがら、聞くともなしに彼女たちの会話に耳を傾けていました。
妹ちゃんとおばあちゃまの声が聞こえます。
「ねぇ、ばぁば、バンドエイドなーいー?」
「ばぁばは、今はバンドエイドは持っていないわ。大丈夫よ。公園に行って、それでも痛かったら、お家にバンドエイドを取りに戻りましょう」
「そうねぇ、痛かったら、お家に戻ろうね」
「きっと痛くはならないわ、大丈夫よ」
「うん、大丈夫ねぇ」
ちょうどバンドエイドを持ち合わせていた私は、妹ちゃんにたずねてみました。
「バンドエイドを持っているけれど、いりますか?」
知らないおばさんに話しかけられてビックリしたのでしょう。
大きな目を見開いて、コクンと頷いた妹ちゃん。
その小さな手に一枚のバンドエイドを握らせました。
「お礼はちゃんと言えたかしら?」とばぁば。
「ありがとー」
その後も、ばぁばはひっきりなしに姉妹に語りかけます。
そして、姉妹も拙い言葉を楽しげに紡ぎ出しています。
あぁ、こうして子どもは言葉やマナーを覚えていくのだなぁ。
そして、20年ほど前の、年子の娘たちと私の父母の姿が思い出されました。
私が仕事をしている間、年子の娘たちの面倒を見てくれたのは私の父母でした。
お天気の良い日は公園で遊び、おやつを買いにショッピングセンターへ連れていき、雨の日には絵本を読み聞かせ、ことわざカルタで遊び。
その間中、父母はまだ片言しか喋ることのできない孫たちに話しかけていました。
その場に居合わせなくても、帰宅後の彼らの様子から、そうであることは容易に想像できました。
それに、母は子どもだった私にも、同じように話していた記憶があります。
そのおかげか、私も娘たちもお喋り好きになりました。
それが国語力にどんな影響を与えたのかは、科学的には分析できません。
でも、幼い頃から言葉のシャワーを浴び続け、会話を楽しみ、遊びの中でことわざや慣用句を覚えられたことは、確実に娘たちの語彙を豊かにしたはずです。
通りすがりに出会った幼い姉妹も、いずれ懐かしくおばあちゃまのことを思い出す日が来ることでしょう。
感謝の念を持って。
余裕があるからこそ
でもね、思うんですよ。
孫だからこそ、人生を経験したからこそ、こんな風に語りかけられるのではないかって。
私だって、幼い年子の娘二人を育てていた頃は、いつもいつも優しく丁寧に話しかけるなんてことはできませんでした。
仕事と家事と育児をこなし、時間に追われ、暇があればとにかく眠りたかった。
祖父母のサポートがあっても、気持ちと体力の余裕がなかったのです。
何かと忙しい現役ママ・パパたちに、祖父母のような穏やかな対応を四六時中求めるなんて非現実的だと思うのです。
でも、だからといって公園に連れていって、子どもは勝手に遊ばせておき、親はスマホを見つめて無言でいるっていうのもお勧めはできません。
子どもは、会話や語りかけによって言葉を覚えていくのだから。
そして、幼いころのこの土台の上に国語力は築かれていくのです。
だから、子どもとの会話を楽しみましょう!気持ちと時間に余裕のある時はぜひとも。
シルバー世代に頼りたい
孫たちは成人間近だけど、私の母はまだまだ元気。
公園に出かけていって、ひっきりなしに子どもたちに話しかけるパワーはまだありそう。
子ども好きの元気なシルバー世代と未就園児が触れ合える場があるといいのにな、と思います。
最適な人材を必要とされている場へ届ける人材マッチング。
少子化と高齢化の時代に良さそうなんだけどな。
ちなみに、50代になった今、私は生徒さんたちとの会話を心底楽しめます。
我が子だったら叱り飛ばしていたであろう失礼な態度や言葉さえも、幼さゆえの可愛さとして捉えられるのです。
知恵や技術ではないけれど、腹が立たない、笑って済ませられる心の余裕が年齢からくるものだとしたら、それはそれでいいもんです。
亀の甲より年の功。
子どもたちの言動の向こうにある気持ち、表面的なモノの奥底にあるモノを少しは見つめられるようになりました。