プロフィール
講師略歴
森田ちほこ
1965年 愛知県名古屋市生まれ
金城学院中学校・高等学校卒業
早稲田大学第一文学部卒業
東京大学 大学総合教育研究センター インタラクティブ・ティーチング講座修了
年子の娘二人を授かり、自律かつ自立した人を育てることを念頭に家庭学習方法を試行錯誤しました。
そのなかで、知的活動の源である国語力の土台を築くためには、幼少期における親と子の関わりが重要であることを認識し、とくに国語教育に力を入れました。
娘たちが成人した今は、我が子の中学受験で培った国語指導のノウハウを活かして、当教室を運営しています。
モットーは、『一人ひとりの国語コーチとして、国語を学ぶ楽しさを伝える』こと。
おかげさまで、口コミだけで満席となるほどの人気教室となりました。
「子どもの主体的な学び」を促す指導法を実践し、論理的な読み方と解き方を身につけ、子どもが自分の力で答えを導き出せるようになる指導を行っています。
また、多くの子どもたちとお母さま方と関わる中で、育児と学習全般、受験についての相談を受けることも増え、コーチングやカウンセリングも本格的に学びました。
子どもはもちろんのこと、まずは親がより楽しく充実した人生を送ることを応援したいという思いで活動しています。
周囲に与える印象は「一見クール、中身はユーモアと愛情あふれる聞き上手」「的確な判断をする、安心して頼れる先輩お母さん」「その子らしさを大切に10年先を見つめて育てる、厳しくも温かい先生」
子育てをしながら事業をする【ママプレナー】として紹介されました!
これまでに培った指導法を書籍化し、公開しています。
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無口な子が言葉で想いを綴るようになった
1965年、愛知県名古屋市でわたしは生まれました。おとなしくて人見知りで初対面の大人が大の苦手、先生からは「教室にいるのかいないのかもわからない」と言われたほど。紙と鉛筆さえ持たせておけば何時間でも黙って絵を描いている子どもだったそうです。
4年生の時の担任は、生徒一人ひとりの個性を見極め、その子の得意を見つけては伸ばしてくださる先生でした。わたしも自分の書いた詩や感想文をみんなの前で読み上げてもらえたことが嬉しくて、文章を書くことがとても好きになりました。
引っ込み思案だったわたしですが、中高一貫校へ進み、伸び伸びとした校風の女子校で過ごすうちに、明るくおしゃべりな子へと成長しました。
とはいえ大勢ではしゃぐタイプではなく、友だちとじっくり話をすることを好みました。この頃に、相手の考えを聴いて自分の思いを伝える経験を繰り返し積んだように思います。
早稲田大学の文学部に進学してからも友人たちと心ゆくまで語り合い、思索にふけり、20歳の記念にエッセイ集『ももいろの空』を自費出版することができました。
頑張ることがコンプレックスだった
学生時代には、試行錯誤を繰り返して自分なりの勉強法を身につけました。
こう書くと勉強好きの秀才のように思われるかもしれませんが、実際は正反対。天才型ではなく努力を積み重ねることで知識を増やしていくタイプだったため、ひたすらやり続けることでしか自分の存在意義を確認できなかったのです。
全く専門外の外資系コンピュータ―会社にシステム・エンジニアとして入社してからも、理系出身の同僚たちの足手まといになるまいと必死。「そこまでやる?」と驚かれるほど頑張らないと、不安で仕方がない。
自信がないから人一倍やるだけなのに、成績を表彰されたり、入社式で2000人以上を前に先輩社員としてスピーチすることを任されたり。
実力の伴わない実像と周囲からの評価との乖離に恐怖すら感じるようになりました。
そして要領よく仕事をこなす人と自分を比べては、実力ではなく努力を評価されていることにコンプレックスを抱くように。
そんな悩みを上司に相談したところ、「実力以上のレベルを目標にする性格が自分を引き上げるんだ」と言われ、初めて自分を受け入れられるようになりました。
『努力しなければ、自分の先には何もない』ではなく『努力する自分に価値がある』と思えるようになったのです。
そして27歳の時に大切な友人を事故で亡くし、人生で初めての大きな悲しみと喪失感にくれる中で、ふと自分を顧みたのです。
「わたしは、もし明日死ぬとしても後悔しない人生を送っているだろうか?わたしが本当にやりたいことは何だろうか?」
答えはすぐに出ました。勤めていた会社に退職願を出し、フラワーデザイン教室での勤務を経て独立。「フラワースクール atelier MILNE」を開校しました。
生きがいと思える仕事に出会った
独立前に結婚していた主人との間に2人の娘が生まれ、やがて小学生になり、子どもたちの勉強を見る機会が増えました。 なかでも下の子がどうも国語が苦手だということがわかり、特化して教えることに。
指導法を研究し、基礎からひたすら学習することを徹底すると成績は思いのほか順調に伸び、中学受験の時には国語が武器になるほど得意になりました。
それを知った人から「うちの子にも教えて」との声があがり、国語教室も始めることに。口コミだけでたくさんの生徒さんが集まり、小さな教室はかわいい子どもたちでいっぱいになりました。
これまでのわたしをふりかえってみてわかったこと。それは、「いつも、だれかに、なにかを教えていた」 ということ。そして「自分の知っていることを、人に説明するのが得意」ということ。
小学生のころからとなりの席の子に嬉々として算数の解き方を教え、大学生になると家庭教師のアルバイト。
大学の講義でいちばん楽しかったのは、教授に代わって学生が順に講義を行う形式のゼミ。
教育実習ではじめて教壇に立ったときには、授業構成を自分で工夫して生徒たちに教えることに、これまでにない充足感を覚えました。
就職試験の面接でも、自分の思いをていねいに伝えることを心がけ、入社したコンピューター会社では「専門知識がないのに、これほど説得力のある説明ができることは才能だ」と思わぬ評価をいただきました。
どうやらわたしは、いいと思ったことを工夫して人に教えるのが楽しくて楽しくて仕方がないようです。
生徒さんの学力向上のためには、わたし自身のブラッシュアップも欠かせません。
いちばん力を入れているのは、子どもが能動的に学べる授業作りです。これまでのような先生が生徒に一方的に知識を授ける授業では、これからの時代に不可欠な思考力を育てることはできません。
そのためにも、東京大学・大学総合教育センターにおいてインタラクティブ・ティーチングを修了し、子どもの主体性に働きかける教育法を研究し続けています。
そして国語教室の枠におさまることなく、全国の教育関係者と繋がり、情報を交換し合い、幼児から大学生までの学びを俯瞰できるよう努めています。
親御さんたちの味方でありたい
いつしかわたしも歳を重ね、学習・受験・育児全般についてのご相談もいただくようになりました。
お母さま、お父さま方とお話ししていると、幼い娘たちの子育てに悩んでいた自分の姿が重なります。「努力が報われる」とは限らない育児は、わたしにとっての試練だったのです。
母は、わたしの長所を探しては心からほめて育ててくれました。それなのにわたしときたら、我が子の欠点を探しては矯正し、思い通りの立派な子に育てることばかりに一生懸命になっていたような気がします。
もっと子どものありのままを受け入れ、それぞれの個性を伸ばしてあげられるような育児をすればよかった。そんな後悔とも反省ともつかぬ思いが、今のわたしの原動力です。
わたしは母親として、また多くの子どもたちに国語を教える者として、育児はお手本通りに進まないことも親の感情コントロールのむずかしさも知り尽くしています。
その経験を活かし、もっと理論に基いた話もしたいという思いから、カウンセラー養成講座も履修しました。
国語教育はもちろん、学習や受験における親子間の問題にも寄り添えるカウンセラーであることが、わたしの強みです。
育児や子どもの勉強で悩んでいることがあれば、ひとりで悩み続けないでほしい。もしわたしがお役にたてるのであれば、すこしでも良い方向に進んでいけるよう、一緒に解決策を考えていきたいと思っています。