人に教えれば理解できるようになる
授業形態には、「一方向」と「双方向」の二つがあります。
昭和世代の私は「一方向授業」を受けて育ちました。
授業中は先生が一方的に話して、生徒はそれを聞きながらノートをとり、試験前にそれらを暗記するという学びの形式です。
この方法には、短時間に多くのことを手っ取り早く教えられるというメリットがあります。
そして「双方向授業」については、【インタラクティブ・ティーチングのリアルセッション】に参加して、アクティブ・ラーニングを体験済み。
そこで得たものは、リアルの小学生クラスで活用しまくっています(さすがにレベル6クラスは受験生が大半なので、自分ひとりで考え抜く力をきたえていますが)。
「一方向授業」で重視するのは、短時間で知識と正解にたどりつく方法を教えること。
一方、「双方向授業」で大切にしているのは、生徒が自分で考える力を育むこと。そのためには、教える=先生が説明する時間よりも、学ぶ=生徒が考える時間を多くとらねばなりません。
アメリカ国立訓練研究所による【ラーニングピラミッド】は、学び方の違いによる脳への定着率をピラミッド型で表現したもの(数値は脳への定着率)。
①講義を聴く・5%
②文章を読む・・・10%
③映像を見る・・・・・20%
④実演・実験機材で学ぶ・・30%
⑤グループ討論をする・・・・・50%
⑥自分で体験する・・・・・・・・・75%
⑦他人に教える・・・・・・・・・・・・90%
ラーニングピラミッドによると、講義を受けるだけだと記憶に残るのは5%。
同じく教科書を読んだだけでは10%ほどしか頭に残らないということになります。
ポイントは、定着率が高い⑤⑥⑦がすべて自分でするもの=能動的にアウトプットするものであり、受身でインプットするだけの行為である①聴く②読むは、おそろしく定着率が低いという点。
思い当たる方も多いと思いますが、人に何かを「教える」には、そのことをしっかり理解できていないと無理なのです。
言い換えると、あることを「教える」ことができるということは、その内容をほぼ完璧に理解できているということです。
私の体験した【インタラクティブ・ティーチングのリアルセッション】は、反転授業の形式にすることで①~④は最小限に抑えられていて、⑤⑥⑦に多大な時間を費やしていました。
一方的に講義を「聴く」だけではないから、眠くなったり飽きたりすることもないし、「グループ討論」が中心だから頭はフル稼働。
グループのメンバーに意見を伝える時点で、自分の考えを整理整頓することになり、わからないことは互いに教え合うため、より理解も深まります。
だったら、すべてアクティブラーニングにしちゃえば?
そうですよね。そう思いますよね。
定着率がいいなら、すべてアクティブラーニングにすれば良さそうなものです。
が、ここでひとつの矛盾が生じます。
正解のある学問においては、教師は正解というゴールに向けて生徒たちを誘導する必要があります。
野放し状態にしてしまうと、限られた時間内にゴールにたどり着けずに途中で道に迷ったまま置き去りにされる子がいるのです(しかも少なからず)。
そして限られた授業時間内で、正解というゴールにたどり着くためには、「一方向授業」で解説をした方が手っ取り早い。
しかも、テストや入試問題を解く際にはスピードが勝負だから、早く正解する方法を教えてほしいと思う受講生が多い。
でも、それでは知識の定着率も悪い上に、子どもたちの考える力や表現する力はなかなか育てられない。
正解のある問題を解いている限り、「正解はわからなかったね、でも考えることが大事なんだよ。みんなが自由に考えて意見を言えたらそれでよし!授業は終わり!」というわけにはいきません。
そのあたりは授業設計の質にもよるのですが、前提知識の定着していない生徒の率が高いほど生徒同士の対話は迷走しがち。
正解というゴールに向かって走るという点では、ある一定時間は「一方向授業」をせざる得ないのです。
うーん、困ったな。
そこで、私の導き出した結論は、というと。
どちらかひとつだけに決める必要はない
結局、そこに落ち着きました。
ものごとには、往々にして両面があります。
インプットとアウトプット、ルールと自由、叱るとほめる、遊びと勉強。
これらは、どちらか一方だけに偏り過ぎると何かしらの不具合が生じます。
大切なのはそのバランス。
国語教室の授業も絶妙なバランスを保ちながらやっていこう、と毎度授業を設計しています。