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9月も中旬だというのに、真夏のような太陽が照り付ける京都の百万遍界隈。

京都大学アカデミックデイに参加してきました。

京大名物のタテカンはきれいに”撤去”されており、もの足りないような、もの寂しいような気分で吉田キャンパスに入りました。

広大なキャンパス内は人影もまばらで「ほんとに今日やっているの?」と一抹の不安を抱えたまま、会場である時計台まで長女に案内してもらったところで、こじんまりとした案内板を見つけてひと安心。

 

 

 

 

 

 

 

京都大学アカデミックデイとは?

「京都大学アカデミックデイ」は、市民や研究者、文系、理系を問わず、誰もが学問の楽しさ・魅力に気付くことができる「対話」の場となることを目指している企画です。

年に一度、100名以上の研究者が一堂に会します。

これは、国民と科学・技術に関わる本学の研究者が直接対話することで、本学の研究活動をわかりやすく説明するとともに、国民の声を本学における研究活動に反映させることを1つの目的として始めた取り組みです。

-京都大学アカデミックデイホームページより引用-

 

「研究をしている人はどんな人?」「研究ってどんな社会貢献につながるの?」そんな素朴な疑問を直接研究者に聞ける貴重な一日です。入場無料、入退場自由。

-京大アカデイ公式Twitterより引用-

 

会場内に足を踏み入れてみると、キャンパスの様子とは一変。

予想以上の来場者でにぎわっていました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

研究者と立ち話ができる、ぜいたくな時間

今回の京大アカデミックデイ2019参加の目的は、「分かる」について研究者と対話すること。

 

試行錯誤して作り上げたきた国語教室ミルンの授業ですが、何年教室を続けても、いや、教え続けているからこそでしょうか、いくつもの?が湧きおこります。

その中のひとつが、子どもの理解について。

 

 生徒さんが「分かった!」と言うとき、その子の中では何が起こっているのだろう?

 「分かった!」と「分からない」の違いは何だろう?

 60~90分間の授業で、生徒さんはどのように学ぶのだろう?

 

そんな疑問が頭の中を駆け巡っているときに見つけたのが↓でした。

勉強思考、研究志向、学問思考。

話すほど余計に分からなくなる知の世界へようこそ

学ぶとは何か。考えるとは何か。分かるとは何か。そして、知識とは何か。専門とは何か。生きるとは何か、へ。

学際融合教育研究推進センター  宮野 公樹 准教授

分かるとは何か。

その答えが知りたくて、「分かる」について誰かと話し合いたくて、京都まで駆けつけました。

とのことなので、遠慮なく質問。

宮野先生は、「分かる、腑に落ちる、降りてきた」「仁、ロゴス」「自分自身」などの言葉とともに図を用いて、ご自身の「分かる定義」を丁寧に説明してくださいました。

そして、「読解力に差をもたらすものは何でしょう?」の問いには、一瞬の沈黙の後、即座に「経験じゃない?」と。

同感すぎて、なにも言えません。

今回の対話の結果は名古屋に持ち帰り、しっかり消化して、小学生にも理解できる内容に落とし込んで授業に還元してまいります。ありがとうございました!

 

自分の専門外の研究者とも話せるのも魅力!

会場には50近くのパネルがあり、気になるパネルの前で足を止めると、その前にたたずむ研究者が気軽に話しかけてくださいます。

わたしと長女が興味を持ったのは↓

テロメアから考える細胞のがん化

「科学者」ってどんなイメージですか?

生命の設計図である染色体DNAはヒモのようなもので、その端は「テロメア」によって守られています。テロメアが失われると、染色体の端と端が融合して異常を引き起こし、ひいてはガン化を誘導してしまいます。我々は、染色体融合を「可視化」する技術を開発し、融合を持った細胞の運命を直接見ることで解析しています。

白眉センター(大学院生命科学研究科)
林 眞理 特定助教

「高校の生物で習った内容の記憶もあやふやなんです」なわたしのために、DNAの成り立ちからわかりやすく噛み砕いて説明をしてくださった林先生、ありがとうございました。

「お母さん、そこから?テロメアまで行きつかないじゃん!気の毒過ぎる!」という長女の心配どおり、「説明を聞いては質問する」の繰り返しで、合間に長女の解説が入るという有様でしたが、なんとか最先端の科学技術の研究内容をおぼろげながらも「分かる」ことができました。

そして、「分かった」瞬間に、「もっと知りたい!」という気持ちが湧きおこり、こうして人はどんどんと学びを深めていくのだな、ということを実感しました。

長女は文学部生ですが、理系の科目もいくつか選択しているようで、林助教授の属する白眉センターの教授の授業を受け、テロメアについての知識も若干持ち合わせていたとのこと。

履修科目の自由度が高いのも、京大の魅力のひとつだなぁ、とうらやましく思った次第です。

 

そして、もうひとつ。

学問が取り組む《究極の選択》?

学問的な「苦々しさ」のおすそ分け

「どの選択にも犠牲が含まれるとき、何を選ぶべきか」を考えます。例えば、小惑星衝突を回避するため核兵器を使用してよいのかといった問題では、どの選択でも何かが損なわれるため、苦々しさが残ります。天文学、国際政治、医療・生命倫理の分野で生じる《究極の選択》を取り上げ、よりマシな選択を考えたいと思います。

大学院文学研究科  大庭 弘継 研究員
東京大学 中村 長史 特任助教 他

中村さんは、4年ほど前に東大で受講した「インタラクティブ・ティーチング」でお世話になった方です。

当時は博士課程の若々しく穏やかで理知的な青年でしたが、久々にお会いしたら、立派な助教授になられ国際政治学者としての道を着実に歩まれているご様子。なによりです。

こちらのブースで行われていたのは、「ある問いに対して、三つの選択肢のうちから一つを選ぶ」という一見簡単そうなアンケート。

でも、その問いがまったくもって単純に回答を選べないような良質な問いなのです。

たとえば、「国家の財政を圧迫してでも、自分の家族の命を助ける可能性の高い高額医療を受けるか?」とか「自国に難民を受け入れるか?」とか。

タイトル通りの「究極の選択」であり、どれを選択しても「苦々しさ」は残ります。

中村さんと他の研究者、長女も交えて、前提条件をあれこれ考えながら、究極の選択をしてまいりました。

 

このあれこれ考えて話し合う、という過程こそが思考力を鍛えるのだ、とここでも実感。

そして、こういったわたしの経験や気づきが、今後の授業に活かされていきます。

 

家族で京都大学アカデミックデイに行こう!

今回案内役として付き添ってくれた長女も、興味深い内容のパネルの前では足を止め、研究者とわたしの対話に加わりました。

その際には、科学や社会問題について自分なりに考えを持ち、それを言語化している長女の姿を見て、頼もしさを感じることもできました。

お菓子のオマケが期待通りでないだけで大泣きしていた彼女の幼少期を知る者としては、安心した、といったほうが適切かも知れません。

親たる者、いつまでたっても子の成長というものは嬉しいようです。当たり前か。

もはや理系や世界史の知識では娘にかなわないし、難解な文章の理解力という点でも同じレベルに追いつかれた感覚を持ち、親としての焦りも覚えました。

そこでですね。

家族で会話を楽しむためにも、自分のレベルを引き上げねばと思い、『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』を買いました。

毎夜寝る前に読んでいるのですが、読み始めて数分で寝落ちするらしく、十字軍より先に歴史が進みません(泣)

これではいつまでたっても現代にたどりつけないので、今日からは午前中に読み進めることにしました。

いろいろと良い影響を与えてくれる京大アカデミックデイ。たまには家族でこのような行事に参加するのもいいもんですね。

 

研究者と気軽に立ち話ができ、専門のお話が聞けて、疑問に対して自分なりに答えを見つけられるなら、名古屋から京都まで出掛けて行った甲斐があるというものです。

来年もまた行こう!と思いましたよ。

そして、今回参加してみて 意外に思ったのが、子どもの参加者もけっこういたということ。

幼いころにアカデミックな場に身を置くという経験は、知的好奇心をくすぐるという点でも大いにプラスになるはず。

研究者である皆さんは、ご自身の専門についてお話をされるとき、それはそれは楽し気で幸せそうです。

きっと子どもたちにもやさしくわかりやすく科学や哲学、社会についてお話ししてくださるはずです。

それをきっかけに、ある分野に興味が芽生え、学びを深めていく子もいると思います。

わたしも、もし孫ができたら、連れて行ってあげたいな(何年先のことになるやら)。