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Facebookが数年前の今日に投稿した記事をリマインドしてくれました。
1浪を経て現在は大学2年生である娘が、高校3年生のときの話です。

ほんの数年しかたっていないというのにすっかり忘れてしまっていたのですが、今朝、何気なく読み返してみたら、その時のことをありありと思いだし改めてすこぶる感動しました。

こちらのブログでもシェアしたいと思います。

Facebookの投稿記事

高校3年生の長女の保護者会に出席した。

大学入試についての説明会だった。

入試に関しては昔とはいろんな点で大違いなので、すべて本人に任せてあり、私の役目はご飯と弁当作りくらい。職業柄、現代文だけは監視しているけれど。

学校側の説明も今年の入試結果と推薦枠の報告程度だったのだが、 会の最後にあった学年主任のお話に、母親たちは涙した。

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高3生になると、職員室に来る回数が増えます。質問は口実です。その裏にあるのは、入試本番への不安です。

自習エリアで勉強していて ふと友達を見ると、難しそうな問題集を解いている。自分のよりもレベルが高そうだ。今のままやっていて大丈夫だろうか。

どうしてもっと早く始めなかったんだろうという後悔。過去にとらわれる不安です。

未来に対する取り越し苦労もあります。やることが山積みで、とても間に合いそうにない。これで志望の大学に受かるのだろうか。

そんな不安感でいっぱいになって、集中できなくなると職員室へ来るのです。

最初は英語の質問をしているのですが、本当は違うんです。相談したいのです。たいていの子は「先生、私大丈夫かな?」と涙をこぼします。泣きじゃくる子も、号泣する子もいます。

2次試験の前日に問題集をたくさん抱えて学校へ来て、「こんなに覚える事が残っているのに明日が本番なんです」と泣いた子もいます。

生徒たちは、家では泣けないと言います。

「親にはこれまでいっぱい心配をかけてきた。これ以上負担をかけたくない、涙は見せられない」

と言います。

友達も自分のことでいっぱいいっぱい。相談すれば真剣に向き合ってくれるとわかっている。でも、友達の時間は奪えない。だから友達の前でも泣けないと。

そんな生徒たちを、全教員で支えていきます。お母様方も学校を頼ってください。
私達教員は、お嬢様方をしっかり巣立たせたいと思っています。

生徒たちは、本当に頑張っています。努力しています。みんな自分で机に向かえる子たちばかりなんです。勉強をすればするほど不安になるんです。

泣くのは良いことです。彼女たちの涙は、学校で受け止めます。そうすれば、スッキリしてまた気持ちを立て直して前に進んでくれるのです。

でも、お母様方も、そんなお嬢様方の気持ちを知っておいてください。

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入学式の時より、感動したかも。

初々しい新入生だった彼女たちも、この5年間でずいぶん成長したんだなぁ。

生徒たちの自主性に任せ、厳しい校則もない学校だから、自由な雰囲気のなか 伸び伸びと過ごすことができた。その自由のおかげで部活と遊びにも打ち込めたし、思い残すことはないだろうと思う。

親としては、その自由奔放な点を心配したこともあったけれど。

みんな、親のことを気遣えるまでになったんだなぁ。そんな風に育ててくれた学校には、本当に感謝してもしきれない。これは、母親たち共通の思い。

その後、そして今の気持ち

この保護者会に出席してから3年が経ちました。

「私達教員は、お嬢様方をしっかり巣立たせたいと思っています」の言葉どおり、 長女も次女も1年前の春に二人そろって大学に入学できました。

大きく広い心で受け止めてくださる先生方や、ゆるぎない絆で結ばれた友人たちに囲まれていたからでしょう。


(そこに至るまでの親子バトルはすべて割愛させていただくとして)


受験生だったころに、家では入試への不安を口にすることは ほとんどありませんでした。

どんなに模試の結果が悪かろうと、すぐに前を向いて淡々と入試に向けて勉強をしている様子がうかがえました。

中学受験のときは、親の介入度が想像以上で、終わったときには子どもよりも親の方がヘトヘトといった感じでしたが、大学受験はあっと言う間に終わってしまいました。

長女が浪人することになったときも、本人は「あ―、もう1年勉強か」とひとことつぶやいただけで、翌日には旅行に行き、帰宅してから予備校を決めて、自分で手続きも済ませていました。

その後の1年間は、少なくとも親には大きな心の揺れを見せることもなく過ごしました。

彼女の口ぶりからは、予備校の先生方や浪人仲間とともに日々の心配事を解決し、卒業した高校の先生方や現役合格した中高の友人たちから励ましをもらっていることがうかがえました。

もう子どもではない19歳という年齢であり、それが当たり前と言えば当たり前なのですが。

そして再度チャレンジした国立大学の合格発表をパソコンで確認した瞬間、両手で顔を覆い、無言で涙した長女の姿を目にしたときは、やはり彼女なりに不安があったのだと思い、わたしも込み上げるものがありました。

でも、本人よりも親よりも泣いていたのは、妹である次女だったのです。

ふだんはクールで感情を表に出すことのない彼女が姉に抱きついて泣いているのをみて、夫もわたしもひどく驚きました。

「浪人してまであんなに頑張っていたお姉ちゃんが落ちたらかわいそう。受かってホントに良かった…」
同じ受験生として1年間を過ごしたからこその言葉だったと思います。

長女の頑張りはもちろんですが、次女の精神的な成長にも気づかされた次第です。


保護者会で知ることとなった高校3年生の葛藤は、間違いなく子どもたちの精神を成熟させていたと思います。

受験期にあっても、親を、友だちを、姉妹を思いやることができたのは、彼女たちの不安感を受け止めてくださる先生方の存在あってこそ。
そして、その安心感のなかで成長できたのだと、今さらながら感謝しています。

毎日を共に生活している子どもだからこそ、親には彼らの成長ぶりは実感しにくいのかもしれませんね。

でも、人が成長しないわけはありません。

どの子も それぞれの場所で、その子らしく成長していくのだと思います。

厳しさや苦しさは、人に深みをもたらします。

とことん思い悩んで我が道を突き進んだその先には、どんな景色が見えるのでしょう。

国語は精神年齢が反映されやすい科目です。
教室で読解を教えていると、生徒さんの心の成長ぶりにハッとさせられることも多々あります。

そんなとき、「こんな難しい文章の意味がわかるようになったのか。大きくなったなぁ。成長したなぁ」としみじみ思うのです。